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小 鳥 達 の 沈 黙

ここに来てしまって良いのだろうか。
広い駐車場は一面にあかあかと日が射して、からん、としている。 一台きりの先客は従業員の車らしい。 いつも混雑を避けるために夏休みをずらしてとるのが習慣とはいえ、 ひとっこひとりいない観光地というのも不安になるものだ。 途中で見かけた登山口の駐車場には沢山車があったので、 夏山登山やハイキングの人はこの山のどこかに散り散りになっているのだろう。 この寺も週末やお祭りの時は賑やかに参拝客が訪れるのだろう。

それにしても。
静かだ。

人気のない喫茶店だの土産物屋だのの立ち並ぶ道をとぼとぼ歩いていくと、 寺に向かう参道が斜面を一直線に登っていた。 敷き詰められた石が真っ白に光る。 長い長い参道をそっと上る。

「閑静な住宅地」などと言って、確かに自宅は町中に比べれば静かだと 思っていたが、違う。 十数軒の家を挟んでいるとはいえ、バス通りや国道に囲まれていれば 終始自動車の音はしているはずだし、周囲の家の中でも人が居れば なんらかの音がしているはずだ。 それらの雑音が一体となった結果それらは音としては意識されずに、 音環境の土台となっていたのだ。

その混然とした音の上に、庭の木々のそよぎや鳥の声や 隣家の呼び声などが乗った、「静か」な住まいに私は暮らしている。 けれど。

静かだ。
ここは、本当に、何の音も聞こえない。 文明の雑音の土台を取り払うと、世界はこれほどまでに静かなものなのか。 標高が高いため、蝉すら鳴いてはいない。 山を取り巻く木々も、この午後は葉一つ動かさない。 人気の絶えた早朝にだけ、小鳥達が晴れやかに鳴き交わすのだろう。

りん。
鈴音と。履物を石畳に擦る音と。
人が来る、と目をあげると人影は参道のはるかかなたにある。 空気が澄んでいるので日射しが痛いほどだ。 長い長い参道沿いに連なる旅館と土産物屋の傍らに日陰のベンチがあったので 長い長い坂の途中で腰をかけて一息いれる。

坂を下ったところに桃色の紫陽花が満開になっている。 ぱちぱちと鋏の音がして作業衣の男性が花を摘んでいる。 知り合いが通りかかったらしく、自分の頭ほどの紫陽花を ゆらゆらとかざしながら話を始めた。 さっきはどこどこで伐ってきて──あとでどこどこに行くから 話し声は高くないし、ここからはかなり距離があるのに一言一言が くっきりと透明な空気を通してこちらの耳まで届く。 突然特殊な聴覚を身に付けてしまったような不思議な感じだ。

ベンチの斜め前の家は土間を開け放って、木刀のような白木の杖だけを 枠に突き立て、ぞんざいに手書きの値札を貼っている。 奥から人が出てきたようだ。 土間を擦る足音は老人だろう。 窓際の流しの蛇口をひねって、バケツに水を汲んでいる。 やがて、実際にバケツを手にして体を屈めた老女が表に姿を現した。 姿を目にしなくとも、音で判るものだ。

と、土間の隣の真っ暗な硝子の中を動く白いものがある。
真っ白な蝶だ。
はたはた。はたはた。
光を求めて硝子を叩く。 こちらは、姿は見えるのに音が聞こえない。

日射しに白く光る参道を上り詰め、参拝料を払うと、 パンフレットと瓦せんべいを貰った。 不意に蜩が鳴く。 巨木の中で鳴くのを許されているのはその方だけか。 本山の御本尊は地蔵菩薩、 オン カカカ ビサンマエイ ソワカ 御本尊の真言を唱えて蜩がカカカ、と鳴く。

本堂で紐を引いて鉦を鳴らすと、これがなかなかに良い音だった。 鐘突き堂で梵鐘を鳴らすと、小振りながら、ごぅを〜ん、と鳴った後も いんいんいんいんと余韻がいつまでも響き続ける。 それとも他所の梵鐘でも余韻は続いているのが、 周囲の雑音で聞きとれなくなっているだけなのだろうか。

鐘の余韻がいつまで続くのだろうと、ひとっこひとりいない境内の石に腰掛けて聞いていると、 鐘の響きを聞きつけたかのように、参拝客が何組も姿を現した。 着飾った女性客達はお賽銭をあげて鉦を鳴らしはじめた。 スーツの男性客達は梵鐘を鳴らして、仕事仲間が携帯電話でその姿を撮っている。 おお。この鉦と鐘の音は調和がとれている。響きあって良いハーモニーだ。 音の無い世界に許される音は、特別に洗練された音だけだ。

森の中を下り、森の中にひっそりと隠れたホテルに泊まる。 廊下には小鳥がいる。 鳴かないし、動かない。 アイアンの透かし彫りの小鳥達だ。 ホテルの中も静まり返っている。 部屋の椅子にも動かないし、鳴かない木の小鳥が彫られている。 バルコニーに出る。

真っ赤なTシャツを着た、五歳くらいの男の子がぱっと振り返った。 隣のバルコニーのデッキチェアの上で、大きな双眼鏡を手にしている。 こんにちは、と声をかけると、はっきりした声で、こんにちは、と応えた。 ああ、小鳥じゃなかった。

静かな静かなホテルの中の、静かな静かな部屋の中で、一つだけ気になるものがある。 手作りの木製枠の目覚まし時計。 広い部屋の中のどこに置いても、時を刻む音が聞こえてしまう。 結局、ウッドキャビネットの中に隠してある冷蔵庫の中に放り込んで、扉を閉ざした。 (ナルシア;030720)

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