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汽 笛 が 聞 こ え る

ぽっぽー。

懐かしい響きが風に乗って聞こえてきます。 黒い車体が金色の原っぱの中を突き進む姿が 閉じた瞼の内に浮かびます。

え。汽笛?
ぱち、と瞼を開いて耳を澄ませます。 なんで?なんで汽笛が聞こえたの? 家から真北に国道を越えて電車の線路を越えて もひとつ国道を越えたらJRの線路ですが、 蒸気を噴き上げ汽笛を鳴らして走る機関車なんて 今どき線路を走っているわけがない。

‥‥走っていました。
「33年ぶりの勇姿」、 新聞を見たらこの連休中の三日間だけ SLの特別運行が行われているのだそうです。 やはり汽笛を耳にした人が見たい見たいと言うので ネットで時刻表を確認して翌日一緒に見物に行く事にしました。

連休二日め。 蒸気機関車の時代に浸るには背景が大事です。 ごちゃごちゃした建物が目に入らない、 広々とした風景でなくては。 西の街の郊外から東の街に入る手前、 その間の広い田園地帯がベストでしょう。 土地勘のある連れがひょい、と国道の脇に車を止めます。 最初の汽車の通過時間が迫っていて、親子連れが全力疾走しています。 高速道路に向けて北上する道が線路を横切る陸橋になっていて、 中高年の男性やカップルや一家全員がたくさん橋の上に並んでいます。

高い道路から見渡すと、冬間近の澄み切った蒼天の下、 すっかり枯れ色になった草に覆われた田んぼは 果てしない金色の草原のように輝いています。 くっきりと太い金の線が直線ではなく丸みを持って 田んぼを柔らかく区切っています。 線のところどころに人が散らばっています。 思ったよりここは高い。 田んぼに積んだ薪のようなものに腰掛けた老人や その周りで子犬のように転がって遊ぶ小さな孫達が 可愛らしい玩具のように見下ろせます。

東の街の建物群の中からぴかり、と強い光が射しました。 大きな金色の一つ目です。 あ、あれ機関車の正面ライトだ。 こちらにぐんぐん近付いてきます。 建物群を抜け黒い塊がまっすぐ伸びる線路の上に現れます。 そのまま一直線にこちらを目掛けて走ってきます。 音を聞き付けて散らばっていた子供達が堤に駆け寄ります。 黒煙を纏いながら、機関車は陸橋の前で蒸気を吐きます。

しゅっぽー。
ぴかぴかに磨き込まれた漆黒の車体に金色の縁取り。 枠の中に『C56』の文字が輝き、 きらきら光る石炭の山が足元を通り、 小豆色の豪奢な一等車両、 普段見慣れた水色とピンクの普通車両が陸橋をくぐり抜け、 steam locomotiveはしゅっしゅっしゅっしゅと遠ざかって行きます。

折り返して来る列車は40分後。 高架を降りながら連れが首をひねっています。
「ねえ、今の機関車、煙突あった?」 へ? 「煙吐いてたからあったはずですよ」 「見えた?」 「いえ、真上からなのでよくわかりませんでしたが」 そういえば。 「石炭がなんだかずいぶん前の方に積んであったような」 「ねえ?なんか普通と違うよねえ?」 次回はよく分りますよ、下から全体像を見ますから。

上から俯瞰すると綺麗に区切られている田んぼも下に降りると どこがどうつながっているのか全くわかりません。 適当に歩いて行くと田んぼの中にこんもり小さな林があって 南側に立派な鳥居と狛犬がありました。 数軒の家が固まっていて犬がひなたぼっこしていて 道の縁に布団を積み込んだ県外ナンバーの車が停まっています。 SLおっかけ班ですね。

家並を抜けるとセメント工場があったので 敷地の自動販売機で缶コーヒーを買って、 工場の裏から飛び下りて更に南に行くと田んぼの中に 草で縁取られたびっくりするほど綺麗な小川が流れていました。 透き通った水底にさらさらと藻がなびき、 ウォーターレタスが淡い緑の薔薇のように水面に開き、 潅木の枝からの木漏れ日が川面に踊っています。

「綺麗だなあここ。ここから見るんじゃ駄目?」 「駄目ですよ、逆光になります。線路越えて南側から見なきゃ」 「あー、そっか」 小川には電信柱を埋め込んだ丸木橋が渡されています。 危なっかしい橋をそろそろ渡って、 線路の下に掘られた溝を兎のようにくぐって、 反対側に出たら

畦道に一列に並んだカメラ二十台の前でした。 「うわ」 「ほら思った通り、ここがベストポジションという訳です」 背景に建物が映り込まず、太陽によるライティング位置も完璧。 「もうちょっと下がってくださーい。フレームに入りますー」 カメラ列から声がかかります。はいはい。

県下及び全国からカメラ担いでやってきたSLファンの列の背後に回り、 ひなたぼっこをしながら缶コーヒーを飲みながら待ちます。 無線機を持った青年が駆け回って 「敷石を踏まないでくださーい」とよく通る標準語で うろうろしている見物客の監督をしています。 カメラマンも監視員も、みなさん遠くから SLを追いかけて来ているんですね。 今日は最高のコンディションで写真が撮れますよ。

ぽっぽー。
手前の駅で機関車が発車の汽笛を鳴らしました。 カメラ陣は配置に付き、私達は堤に身体を向けます。 気配が近付いてきます。 青い空をくっきりと切り抜いて、きらきら光る鋼鉄が疾走します。 金枠のC56のプレート、ライト、黒煙を吐く煙突、 筒型の胴、窓いっぱいに手を降る乗務員さん達、石炭の山。 下から見ると一番目に付くのは前後に力強く動いて 車輪を回す大きな銀色の軸。 ざ、っと金色の草がなびきます。 綺麗な真っ黒い機械はリズミカルな荒い息を吐きながら、 陸橋をくぐって晩秋の広い野に消えていきます。

「やっぱり不思議だなあ。機関車二台あるの?」 「京都に保存してあった車体を大事に大事に 持って来たんですから一台だけですよ」」 「うーん、でも。絶対最初の、形が違ったもん」 「そうですねえ──」

数日後、意味不明のメールが届きました。
>謎が解けたよ。やっぱり逆だった!今日の夕刊の写真参照。 逆ってなにが?夕刊がどうしたって? 夕刊には連休期間中地元を走ったSLの特集写真が載っていました。 ああこれこれ。本当に蒸気機関車、綺麗だったなあ。

ん?一番下の写真の機関車は形が違う? キャプションには「下りは機関車を逆に向けて走る」 え?え?という事は‥‥ 最初の汽車で石炭が先端に見えたのは気のせいじゃなかったんだ。 普通だと先頭にある煙突が後ろにあったから分らなかったんだ。 まさか機関車が前後ろになって客車を引いて走っていたとは。 今明かされる驚愕のトリック! (真正面からだったとはいえ、私達あんな間近で見ていて 気が付かなかったのか‥‥)

大きな黒い生き物のような蒸気機関車、 実際には聞いた事もないし走る姿を近くで見たのも初めてでした。 なのに汽笛の音があんなに懐かしく感じるのはなぜでしょうね。 「だいたい汽車の汽笛なんてTVでしか聞いた事がないのに」 「しかも。TVの汽笛って本物の音じゃなくて効果音でしょ?」

あ。そういえばそうだった。 じゃあ。生まれて初めて聞いた汽笛の音なのに あんなに懐かしく感じるのはなぜでしょうね。(ナルシア)

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