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温泉魔境 ― 千の目編 ―

北に行きましょう。
東北自動車道をまっすぐまっすぐ北へ。 都会の夏は本当に暑かった。 でも東京から青森までの間で一泊したいな。 そうですね、だいたい──ここいらあたりで。 いいかげんに指で示した地図の上に、 鳴子温泉がありました。

頭の上を風が吹く、星と山が見える真っ暗なお風呂に浸かり、 人気の無い暗い宿の渡り廊下をつたって 旧館に探検にいくと立派な柱のある囲炉裏部屋がありました。 藁を編んだ大きな座布団に乗って真っ暗な中に座っていると 不意に硝子戸越しでがらら、と下駄の音が乱れます。 振り返ると浴衣に丹前をひっかけたお客が数人 転がるように表通りを去って行く。

なるほど、散歩をしていた湯治客が昔のままに保存してある 宿の展示を何気なく硝子戸越しに覗いてみたら、 真っ暗な囲炉裏傍に濡れ髪をばっさり垂らした 白い着物の女がぽっつりと。
それは怖かったでしょう。 私も湯の町を散歩しにいこうかな。 髪を拭いて洋服に着替えて幅広い木の階段を降りると、 だだっぴろい帳場にいたおじさんに下足札を渡す前に もう私の靴が土間にちんまり揃えられていました。

車が行き交うには向かない細い石畳に 小さな商店街が続いています。 夏休みの賑わいは終り紅葉にはまだ早い、 はんぱな季節の温泉街は見た所人影がありません。

道の分かれ目の小さなスナックからかすかに 音楽が漏れて来るので、さっき私を見て腰を抜かした 浴衣のお客さん達がカラオケでもやっているのかもしれません。 白衣を来た薬屋さんが通りに出てシャッターを下ろしはじめます。 半分だけ下ろして突っかい棒をして止めます。

長い通りの中で動いているのは彼女一人、 パン屋さんや喫茶店は明りが消えているものの 多くのお店が明りを点したままでいます。

通りの幅いっぱいに涼しい風が吹き抜けます。 次のお店の前に立つと、足が止まってしまいました。 ざあ、と音をたてる様に視線がとんできます。 じいっとこちらを見据える数限り無い小さな鋭い目。 何十となく。何百となく。

ほんの間口一間ほどの、踏み込めば二、三歩で 壁に行き当たる小さな店鋪のその壁から。 店の中には誰もいません。

しらじらと蛍光灯の照らし出す店の中には ひとっこひとり隠れる場所はありません。 視線は壁いっぱいに整然と並べられた こけし人形の列から向けられていました。

そうだった。
すぐに湯当たりするので温泉などに行った事のない私が 鳴子の地名に目を止めたのは、紅葉と温泉と あとなんだか忘れたけど有名な所だな、 と思ったせいでしたが。

そうだ、この町はこけしの本場中の本場だったのです。 私はものごころつく遥か以前からなぜか ヒトの形をしたものがひどく苦手で、 お人形を見せたら泣くくらいでしたから、 家にはこけしなどは置いてありません。 もちろんお土産に買っていくなど怖くて出来ません。

だからといって皆、そんな責めるような目で見ないで。 視線に射竦められて、蟹のようにそろそろと 横歩きになってしまいます。

駅に近付くとにわかにこけしの店が多くなります。 ウィンドウの中に木を削る工具を備えた店も多く、 昼間は工人が木から人形を削り出す実演を 観光客に見せているのでしょう。

いまはどの店にも人間の姿はなく、 奥行きの浅い店の内側で皆TVでも見ているのか、 道に面して壁いっぱいに並んだこけしだけが 明るい蛍光灯に照らされて無言でこちらを威圧しています。 人がいなくても店の見張りは連中で充分。 目が見ている。何十となく。何百となく。(ナルシア;011110 )

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