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時間旅行- 三越-

知人の手を経て、私のもとに届いた一冊の案内状。 二十頁にわたる、時代の証人。

それは、昭和初期の三越デパートからの、 「十月の御案内 増築完成記念號」であった。 表紙には流行画家の手になると思われる、 壮麗な建築のドームを見上げる、和服姿のお嬢様の肖像。

ページをめくると、 “弊店の増築工事は昭和四年三月舊南館の取毀に始まり同年九月 基礎工事に着手してから實に六年の歳月を費しました。”

つまり、「いま」は、昭和十年の十月ということになる。 二年後には日中戦争が勃発し、昭和十五年には贅沢禁止令が出され、 翌十六年には未曾有の太平洋戦争開戦を控えた、そんな時代。

とすれば、この名建築も、ほどなく戦禍に瓦解する運命である。 しかし、その悪夢はしばし追い払い、「いま」が どんな時代だったのか、この型録をたよりに、時間旅行に出かけよう。

“中央部一二〇坪の穹窿天井は採光と装飾美とを兼ね一階から 五階まで打抜き各階の展望は大階段上より奏せらるゝパイプオルガン の音と共に宛然現代の豪華を現す大パノラマの觀がございます”

“テー・ルームは地下鐡中二階からマーケット賣場へ入った直ぐ左手に 設け、見るからにスマートな設計で、輕い御食事と喫茶等の御用を 承ることに致しました”

なんとも奥様方の心理をくすぐった文案にちがいない。

五階では、増築完成記念の「日本舞踊に関する展覧會」が開かれている。 こんくわい、阿蘭陀万才、鏡獅子などのパノラマ、そしてヂオラマ。 参考品としては、“東京、大阪、京都の諸名家より拝借せる門外不出の 國寶的品々”が興味深くも展示されているのである。 当時はそれら名家の名も、世間一般の人の知るところだったのだろう。

この十月には、三度にわたり、ファッションショーも開催されている。 ここに出品されたイヴニングドレスは、 “鶯の羽毛を想はせる柔かな緑のジョーゼット地、胸の花は濃い茶色の 絹、胸から肩、背にかけての部分と裾には細いプリツをつけ、背は深く 刳れてゐますが、ゆつたりした上品なもの”。 モノクロ写真の色彩不足を補って余りある細やかな描写である。

しかし、家具や調度品はまだまだ貧弱な西欧の模造品と映る。 うすっぺらい書棚と書き物机の写真は、人形の家具にも似て、 おそらく紳士諸氏の長い愛用には耐えられなかったにちがいない。 もっとも、時代を思えばそんな必要もなかったのだろうが。

 

つづいては食品売場。 商品の写真撮影は物のあふれる現代から見れば 質素で未熟、いわゆる「シズル感」はまったくない。 「ピクニック用各種國産罐詰類」などがあるのもほほえましい。 ピクニックのお弁当には、缶詰めがお洒落であり、流行であったのだ。

「蓬莱山」というのは三十円も(?)する、鰹節の名である。 御結納品として欠かせない品らしく、豪華に飾り立てられている。 何せ、真珠のネクレスが二十円〜なのだから、 いかに高価かわかろうというもの。

本店四階では、フランス人形の制作實演なども行なわれている。 秋の新柄ショール、新柄ネクタイの紹介、 そして、やはり、なんといっても、着物である。 三越、もとい越後屋、さすがである。

ここに掲載されたすべての商品のうち、もっとも洗練され、 いま見ても新鮮なデザインのもの、それが呉服売場の商品。 きちんと、この柄は何歳台で着るものなのだと教えている。

たとえば、 “糸錦刺繍丸帯”なら、“納戸地に鷺と烏を白と黒のビロードの アップルケにて現せるもの、三十七八歳向”である。 今、どこの呉服屋がそこまでの厳密な区切りを言うであろうか。 そしてどれをとっても、デザインに無駄がなく完成されている。

こんな着物を着ていた若い女性たちが昭和初期の日本に存在したのだと 知るほどに、裸に近い恰好で街に出ることを余儀なくされている 現代の女性衣料の低俗な一面を思わずにいられない。

つかのまの時間旅行から帰ると、 かつて三越の中央ホールに胸をときめかせて立ったであろう 女性たちのその後に、 思いをめぐらす暑い季節である。(マーズ;000711)

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