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海上の神殿

午前九時が満潮なので、明るいテラスでゆっくり朝食を 摂って桟橋に向かいました。 十分毎に出るフェリーの甲板から、対岸の緑の下の靄の中、 水面に立つ大鳥居が見えます。

船はそのまま鳥居の下を──潜るには船が大きすぎるので、 船着き場から所々で鹿に挨拶しながらてくてく歩きます。 そして至るは安芸の宮島、推古帝の御代に創建され、世に 栄華を誇った平清盛が造営した「厳島神社」。 桧皮葺の入母屋造の社殿が幾つも並び、長い長い廻廊の整然と 並んだ丹塗の柱の間から、碧の水面が覗きます。

普通の御殿ならばそれは大きな池のはず、しかし天下に知れた 厳島神社は、海の上に立っているのです。 睡蓮の葉がたゆとう様に見えるのは、緑の透明な海苔です。 足元に密やかに寄せるのは海の波、やがて引く満ち潮です。 整然と並んだ紅色の柱の向うにも廻廊の柱の列、それぞれの 軒から黒鉄の燈籠を釣し、こちらの移動に合わせてするすると 紅い柱が何重にも重なり合い流れて行く様に見えます。

面白い。人気の無いを幸い、頭の高さを固定して、膝を曲げな いように摺り足で柱を眺めながらレールに載ったカメラの様に 視点を平行移動させます。するする。するする。 紅の格子がモアレを描き、目眩を起こす様な華麗さです。

大平洋岸に住んでいた私にとって、海は時によって 恐ろしい破壊をもたらす猛々しい力です。 此処が如何に波穏やかな瀬戸内とはいえ、潮の高さぎりぎり に設えた建築は、私には何れ自然に破壊される覚悟の上に 建てられたものと見えました。 現に数年前の台風で、毛利元就が寄進した能舞台は崩れ落ち ています。

何れ消え去る筈だった建物を今でも私達が訪れ、眺め、感に 打たれる事が出来るのは何故でしょう。 伝説に残る雄大な建築も、時の権力者の造った物であろうが 宗教的に重要な物であろうが、その後の人々が「不必要」と 感じたものは悉く消え去ってしまいます。

それでも此処では滅びた一族の権力者の造った社殿が、今も 丹塗りの彩も鮮やかにそそり立ち、崩れた筈の能舞台は今も 私の目前でひたひたと水を受けて静まり返って立っています。

宮島の合戦の際、武勇で名高い元就の次男吉川元春は 「陶軍を逃がすとも、社殿を焼いてはならぬ」と自軍に 布令たそうです。元春といえば雅とは縁遠い、信心の厚い 素朴な武人の典型のように言われます。

けれど本当は何が今の世にまでこの建築物を大切に遺させた のか、何が人々にこの青い海に浮かぶ紅い神殿を「必要」な 物と思わせたのか、それは実物を目にすれば信心薄い私達 にも得心のいく事です。

私が宮島を訪れた二週間後。
海はやはり厳島神社を襲いました。

今回は一年で一番潮の高くなる前夜に、強い南風が湾に吹き 込み、今迄に無い高い波と風が社殿を襲ったのです。 私は現像した記念写真を捲ってみました。 青い水面に映える大鳥居を身渡せる平舞台から、右の小さな 脇社と大きな立灯籠の間に鳥居を捕らえたスナップがありま した。この小さな桧皮葺屋根が崩れ落ちて、灯籠を根元から ぽっきりと折った映像がTVのニュースに映っていたのです。

海上の神殿という卓抜なアイデアを生かす為なら、自然災害 は覚悟の上、壊れれば直せば良い、というのは或意味清盛の 奢りと言えるでしょう。奢る平家は僅か数十年のうちに、 宮島の浮かぶ瀬戸内の藻屑と消え去りました。

しかし、嵐で壊された社殿は修復され、剥げ落ちた彩は 再び鮮やかに塗り直される事でしょう。 嘗ての奢りの果ての象徴は、生者必衰の理の世の中でも、 壮麗に立ち続ける事を止め、水の中に没する事を 許されてはいないのです。

真実、美しい故。(ナルシア)

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