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国 宝 の 島

瀬戸内尾道─今治ルート、しまなみ海道が通じたそうです。

地図を見ると瀬戸内の島々が連なる所、村上水軍の本拠地として名高い 因島、伯方の塩の伯方島、私が知っているのはそんなところでしょうか。 これといって何の知識も有りませんが、まあ穏やかな海に島がぽこぽこ、 その合間に大きな白い橋の数々というのは長閑で気持ちの好い風景だろう と思って山陽道を目指すついでに何気なく寄ってみました。

当日はあいにくの雨模様、しまなみをみはるかす事はちょっとむつかしい ので、高速を降りて下から橋を眺める事にします。

さてどこで降りましょう?

有名な因島は帰りに寄る事にして、とりあえず世界最大の斜張橋の 多々良大橋を眺めに、しまなみ最大の島、大三島で降りました。 橋の下に公園が作られて、絶好のビユウ・スポットになっているようです。

しかし、折角だから少し島も散策したいなと思って見回すと「大山祗神社」 の表示が目に入りました。ああ、そういえばこの島は文化財の沢山ある、 なにやら由緒ある神社の島だとちらりとみたガイドブックにあったような。 島の中だから遠くもないでしょう、ちょろっと御参り致しましょう、と 気軽に車を廻し人気の無いうねった山道をずんずんと上って島の反対側へ。

するとそこには思いも掛けない光景が広がっていました。 山の反対側は開けていて、お店が並ぶ通りには美術館、おみやげもの市場に 何台もの大型観光バス!山奥の古めかしい森の中の神社をイメージしていた 私の前には巨大な石造りの鳥居が聳え立ち、広い参道ではそれは見事な石の 狛犬が阿吽の形で参拝者を迎えています。

この神社って、もしかして。
「大山祗」オオヤマツミ──天照大神の兄神「大山積神」? ああ知らぬとは恐ろしい、此処は全国の大山祗神社と三島神社の総本山、 そのうえ嘗ての「大社」だったという「日本総鎮守」の堂々たる大神社 だったのです。

拝殿前には見た事も無い巨大な大楠、樹齢二千六百年──つまり神武天皇 時代に植えられた?本当?

呆然と突っ立って居ると、ガイドさんに引き連れられた観光バスの団体さんが ざあっと寄せて来て、そのまま波に攫われるように丹塗りの柱に桧皮葺きの 立派な本殿へ。しかしなにせ通勤時の駅ホーム並の人込みで、ゆっくり 拝観もままならず、そのまま今度は爺様婆様御一行と共に宝物殿へ。 このまま紛れて入るには年齢的に無理があるのでチケットを買い、 そっけないガラスケースの並ぶ展示室へ足を踏み入れます。

入ってのっけから「義経奉納の太刀」「頼朝奉納の太刀」‥‥ 一瞬嘘でしょう、と思ったものの「伝 巴御前奉納」等と疑わしいものは 「伝」がついているから、全て本物。 螺鈿細工の鞘、人間が使えるとは信じられない大太刀、 生き生きとした武人の像。 ここでまた前知識の無い私は呆然。 「なんでこんな小島にこんな凄いものが?」

芸予諸島といえば毛利に組みした戦国の村上水軍、その程度の認識だった のですが、それはたかだか400年前の事、800年前はここは武人の 信仰を集める大本山だったのです。 現代人の私達は東京を中心に、地上の交通を基準にして各地を把握して いますが、江戸だって街になったのはせいぜい400年前。 当時の京都中心に考えれば、物資の運搬には地上よりも水上、瀬戸内海は 後の東海道並の交通の要所だったのでしょう。

人波を分けて階段を降り、「国宝」の部屋に入るとそこは文化財保存の為 一段照明が落とされ、木枠に嵌まったガラスケースが両脇に置かれ、 ずらっと奥まで鎧が立ち並んでいました。

赤絲威、紫綾威、熏紫韋威胴丸、義経の、頼朝の、木曽義仲の鎧。 奉納の品ですからいずれも美々しく保存が良く、今しも身に纏って合戦に 赴ける様な物ばかり。 ケースの端には島の祭主の娘鶴姫が大内氏と闘った時に身に付けたという ウエストの細い紺色の愛らしい少女用の鎧がありました。

中央のショーケースには銅鏡が載っています。 細かなペルシア風の唐草、鳳凰、繊細な果実の房、胴の括れた尻尾の細い グレイハウンドのような美しい獣の浮き彫り── これは、これは、学校の教科書の口絵に載っていた、「禽獣葡萄鏡」!!

只管仰天して顔を上げると、最前迄室内に満ちあふれていた人は皆 消え失せ、薄暗く音のしない展示室で、私の両脇には色鮮やかな鎧の 数々が一斉に立ち上がりそうな気配で立ち並んでいます。 荘厳を通り越して鬼気迫る、つわものどもが戦勝祈念の跡。

くらくらしながら明るい方に足を向けると、ツアコンのおじさんが 入り口で、一人ぽつんと数十枚分のパンフレットに記念スタンプを ぺたぺたと押し続けていました。(ナルシア)

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