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湖水地方へ1993

ロンドンのホテルに荷物のほとんどを置いて、1泊で出かけた湖水地方への 強行ツアー。インターシティで北へ北へ、ボウネスの駅に降りると、 さぁ、もう足がない。 いや、足はあるのだが時間がない。何せ、たった1泊の予定なのに 湖畔に点在するベアトリクス・ポター関係の施設を訪ねて、しかもホテルは 細長いウィンダミア湖のずっと先の方にある。

これはもう、タクシーをチャーターするしかなさそうだということになった。 おりしも駅前には1台のタクシーが。 「Hello,ladies!!」 文字にするとこわいが、タクシードライバーのライアン(仮名)はこう言った。 長身でボサボサの肩まである褪せた金髪、年の頃は40くらいだろうか。 でも案外35くらいだったのかもしれない、と今は思う。

彼は良い人なのか、カモられるのか。 結局この不安は最後の瞬間まで我々の胸にわだかまったのだった。 一応経済観念のあるところを見せて、チャーターの値段を確認する。 日本での値段が頭にあるので、まぁそんなもんかなという値段に納得し、 契約成立。

いいかげんな英語で急ぎの事情を話すと、ライアンがホテルに電話を入れてくれ、 まずポターが住んだヒルトップ農場を訪ねることにする。 道々聞いたところによると、こんなぜいたくな短期間のタクシー旅行を するのは日本人くらいで(ここらは風光明媚な避暑地なのだから)、 ポターの家は余りにも多くの観光客のために傷みが激しく、週に1度は休んで 掃除や修繕をしないと保たない、といったようなことだった。 新聞にヒルトップの日本人向け入場制限の記事が載ったのもこの頃なのだ。

ライアンはタクシーの運転手になる前はコンピューター会社に勤めていたが、 倒産してしまったらしい。今の仕事も楽しいと笑って言ったが、 日本もまだ今ほどの不況でなかった頃、地に足のついてない日本人2人は ライアンの心中を察してみたりした。 2人で相手と話すと便利なのは、耳が2組あるので、どちらかが聞き取れなかった 言葉でも片一方の耳が聞いていたりして、それなりに会話はつながって 行くのだった。

ニアソーリー村。近くてごめんね、とでも言いたげな名前の長閑な村。 ベアトリクス・ポターがピーターラビットを書いた農場、今はナショナルトラストの 管理になっているヒルトップ。 近くのパブは物語にも出てくるらしい。 ポターは結婚してからはあの家に住んだよ、とライアンが教えてくれた。 ポターのギャラリーのあるホークスヘッドの町にも連れて行ってもらった。

それから、ホテルに向かう途中、少しだけ回り道をして 普通の観光客が行かないような、彫刻のある森のキャンプ場兼野外劇場兼 創作場のようなところにも。 でもここに連れて来られたことに関しては2人とも懐疑的だった。 チャーター時間の延長?という疑念が少し渦巻く。

ともかくホテルに着き、きちんと我々をホテルに引き渡したライアンは、 「明日はどうするのか?」と聞いた。 結局私達は、明日の朝ホテルまで迎えに来てもらいたい、と言って別れた。 実際ホテルは遠かったし、どのみちタクシーを呼ぶしか手はなかった。 見ず知らずの悪魔より、顔見知りの悪魔の方がまし、というわけだ。

その晩、時間があったので、ライアンあての英文の手紙を2人で書いた。 ご多分にもれず、話すよりも書くほうがずっと楽だし、辞書もあったので、 自分達が何者で日本のどこから来ているのかとか、仕事がんばって下さい、 ここに来て短い時間だけどライアンに会えて良かった、というようなことを。

翌朝は少し霧が出ていた。 湖水地方の夏の天気はいつもこんなふうらしい。 晴れた日の次は曇り、雨、そして晴れ。 1日でも快晴だったのはラッキーだと思わねばならない。 コニストン湖を回って、再びボウネスの街へ。 ピーターラビットのミュージアムがあるのでそこでおろしてもらい、 見学と称してしばらく自由時間をライアンにもらう。 昨夜の手紙を渡して、我々はしばし付近を探索した。

昼過ぎの列車でもうロンドンに帰るのだ。 ライアンに最後に会う時間がやってきた。 待ち合わせ場所に現れたライアンの雰囲気が何か変わっている。 心なしか力なく、「手紙を読んだ」と言って、 ここから駅までの代金はいらない、と言う。

その短い間に何を話したのか余り覚えていないが、 駅に着くともう列車は発車間際だったような気がする。 別れを言うのがつらくて、お互いにひどく感傷的になり、 ライアンはケンダル特産のミントチョコレートを2人にくれた。 さっきの間にこれを買いに行ったのだろうか。 ほとんど3歳児の英語でさようならとかありがとうとか そんな言葉と握手を交わして、列車は出発した。

ライアンの瞳に涙が伝い流れるほど、 こちらももらい泣きするほどの何があったのだろう。 どの観光客とでもこんな風にしているとは思えない。 明らかに彼の態度が変化したのは手紙のせいだった。

まごころが通じた、などと言うと最初は打算があったように聞こえるが、 我々は車中で感謝しながらもひとしきり反省した。 今もその反省は続いているのだが。 あの最後の時まで、どこかで彼を疑っていた。 なぜそうなのかはわからないが、そういう猜疑心がこちらにも向こうにもあった。

観光客とガイドとしてのある程度の会話は我々の英語でも成り立つが、 一歩踏み込んで大切なことを話したい時、辞書を引き引き書くことしかできない。 もし最初からもっとまっとうな会話ができていれば、もっと打ち解けた時間は 長かっただろう。でも、最後のあの涙の別れはなかったろうと思う。

ライアンに深く考えもせず聞いてしまって、二の句が継げなかったこと。 「犬を飼っていますか?」 「前に飼っていたが、死んでしまった。 いい犬だったからもう飼う気になれないんだ。」 そういう人だったのに、なぜ疑ってしまったんだろう。 初めてのイギリスで出会ったライアン、今は何の仕事をしているだろうか。(マーズ)

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