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鏡 花 迷 宮

金沢に着いたのは真っ赤な夕陽が街の彼方に落ちる刻限だった。 見物は明日、しかし時刻はまだ早い。繁華街は宿から離れているし、これから夜ま でどうしよう…と思ったとき、金沢の生んだ文人泉鏡花の育った街が近い事に思い 至る。

あいにく連れは長篇好みの怪異嫌いで、鏡花を読んだ事が無い。 「古い町並みの残った地区があるそうですよ、散歩に往きませんか?」 謀った訳では無い、案内書にも載っています。頃まさに灯ともし時、薄暮の見知ら ぬ街の、それも街はずれへ、案内も無くとぼとぼと向かう。  道中車の行き交う通り沿い、風格のある町家がぽつぽつと、格子戸の奥に自動車 を停めた仕舞た屋、中に交じって幾つかの煌々と明りを付け商品を並べた飾り窓も ある。

色鮮やかな九谷の絵皿──月に兔、花に兔、雪に兔…ああ、まもなく卯の年だ、鏡 花にも兔のコレクションがありました、とあちこち覗きこんでいてふっと気が付く。

路地の奥、赤い灯火に照らされた鳥居が一つ。 「ああ、久保市さん、」 ついと曲がるととうに夜の闇、連れが吃驚して後を追う。  もう閉じられたお社の格子に小さな引き手が付いていて、その隙間からお賽銭、 柏手をうって御挨拶、その後すらすらと小さな境内の横手へ回る。 水銀灯火を背に受けた黄葉樹の──楡か──いままさに真っ盛り、金の落ち葉の降 りしきる下、塀の陰に真っ暗な、細い不思議にくねった石段がある。 段の下にはきっちりと、並んだ幅の狭いニ階屋の、うねった細い道に沿って赤い灯 火がずうっと奥へ…

覗き込むだけで目眩のする、幼い鏡花の遊んだ旧主計(かずえ)町…異世界への入 り口…引き返すのなら、今のうち。

其の壱 黒猫

真っ暗な石段に、楡の黄葉が散っている。まるで黒漆塗りに金箔を散らした加賀公 好みの金蒔絵。その昏い豪奢な段に歩を進めると、足元にさっと…黒い柔らかいも のがまとわり付く。出たか野襖、あるいは脛擦り…掬いあげるとふわふわの、黒い 毛玉はくるくると、喉を鳴らして丸くなる。 「お出迎えかい、御苦労様…」 抱き上げたほうも黒ずくめ、首からかけた銀の飾りと、抱き上げられた小さな獣の、 金の眼ばかりがきらきらと、蒔絵の段を背景に、こちらは螺鈿の細工のよう。 見上げて息を呑んでいた連れが、はっと段の下を指す。 「ここ、ここにももう一匹…同じのが、」 瓜二つの漆黒の毛玉のかたわれが、段の下にもきらきらと、金のまなこを輝かす。

其の弐 化鳥

木組みの格子の二階家の、細い小道をくるくると、辿って迷う郭街。 「兼六園のさざえ山のような道…って、何の事を書いてたんでしたっけ…」 もちろん連れが知る訳が無い。  やがて水音が聞こえ、広い河縁に出る。

浅野川。 木の欄干の橋のたもと。 橋のたもとといえば懐かしい、美しいかあさまと幼子の、橋守の親子の…「化鳥」。

そのとき、ごああ、と声がした。…化鳥?いや、化鳥は羽のある美しいねえさまだ、 迦陵頻伽(かりょうびんが)だ、声は極めて美しいはず… と、橋の上に立った目敏い連れが川の浅瀬を指して叫ぶ。

枝垂れ柳の土手下の、さらさらと流れる水に細い足を付け、丈高くすっくと伸ば した白い首、流れるような肩口に、黒い縁取りの美しい青銀色の絹の翼を纏うた、 「大きな鳥…」 「蒼鷺(あおさぎ)です、こんな街中の川に…」 ぴしゃり、と水を跳ね散らして、美しい鳥が魚を採る。

帰路

川沿いの古風な町並みの尽きるところ、車通りがもとの世界への出口です。 ここから南の川面には、都会の灯が映される。  さっきの兔の皿が欲しいなあ、でも持ち歩くのは重いしなあ、と算段しながら歩 いていると、後ろから連れが声をかける。

「来た時の入り口、どこ?ずっと探していたんだけど無いよ、」 「ああそう、もう閉じたかな?」 「ええっ?」 振り返ると、連れの顔が強張っている。ああしまった、憑いたままだ。 少し戻ってひときわ明るいショーケースの前に連れを立たせる。そこからまた数歩 歩いて、角の地酒を綺麗に並べたウインドウの傍らを覗かせる。 「ほら。」 細い路地の奥に、灯に浮かぶ久保市乙剣宮神社。 「なんで?ここも見たはずなのに気が付かなかった…」 「こっちのショーケースの明りのせいですよ。昼ならすぐわかるんでしょうが。」 「でも、もう暗かったのに最初なんでここにこれたの?あの階段も、普通知ってな いと行けないよ?」

「鏡花の“照葉狂言”の舞台で有名なんですよ、この神社も…つまり、知っていた んです。階段は…地元の人が境内に入っていったのを見たので、抜け道が有るんだ ろうと思って試しに行ってみたら大当たり。」 そうか、しっていたのかあ、と連れがようやく安堵する。 知っていた、というのは正しくない。だが、呼ばれた、とは言うまい。 「あの黒猫は?」 「坂の下のおうちの猫でしょ。とても手入れが良くて毛がふわふわでした。きっと すごく可愛がられていて、人懐こいんですよ。」 「そうか、友達かと思って驚いた…」 「私のですか?」

──我が眷属、我が使い…とは言うまい。鷺も猫も、あの街に属するものだ。私が 呼んだ訳ではない。 私は化生のものではない。少なくとも、あの街を離れた今では。

「なんだかすごく面白かった、金沢は深いねえ。」 連れが明るく言った。憑き物は、落ちたらしい。

金沢は彩り豊かな都会です。大勢の観光客が伝統美と工芸品のかずかずを求めて ひっきりなしに訪れます。

ただあなたがひっそりと、幻のものたちに会いたいときは──灯ともし頃、 浅野川縁──旧主計町界隈においでなさい。(ナルシア)

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