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冬の花を見ながら、思い出したこと。
朝日新聞の「花おりおり」を楽しみにしている。毎日、写真入りで、季節の花々が簡単な文章で紹介されている。冬になって、身近に感じる花が多くなった。
子供の頃、家族は共働きで、小さな家庭菜園(というほどいいものではないが)はあっても、花壇や花畑はなかった。お花を植えて、世話をし、愛でる余裕はなかった。せいぜいが、朝顔やアマリリス、サツキやクチナシなどの庭木。・・・渋すぎる。
小学校の頃、みんな競うようにお花を学校に持って行った(ような気がする)。いなかだったので、農家のおうちも多かった。そんななか、学校に持っていける花がなくて、とても肩身の狭い思いをしていた。今思うと、そんなことは小さな事だし、共働きの家で、毎日切り花があるなんて、そもそもが無理な話だ。けれど、みんながきれいなお花を持って行くのに、自分だけお花を持って行けないことが、とても悲しかった。そんな風に思わずにはいられない、空気があった。多分、小学校の先生の言動の端々に、ご本人も意識はしてなかっただろうけど、そう思わせるものがあったのだと思う。
先生のことが好きだったので、よけい、いつも誰かが持ってくるお花を眺めるだけで、自分から持って行くことのできない「貧しさ」が嫌だった。お花を育てる余裕もない、「心」の貧しさ。経済的にはみんなそんなに豊かじゃない、そんないなかのことだから、よけい「心」の貧しさというものを感じさせられた。菜園で野菜は育てても、花壇を作らない「心」の貧しさ。
こうやって、大人になってあれこれを振り返ると、「教育」というものは時にむごい。 特に、まだ他に比べるものを持たない(まだ多様な価値観を持っていない)、子供にとっては。みんなと「同じ」ようにお花を持っていけなかっただけのことが、とてもつらかった。こんなことですらみんなと「同じ」になれなかった。(閉じた田舎に引っ越してきた子供には、いつも疎外感があったのだ。)もちろん、そんなことを気にもとめない子もたくさんいた(と思う)。私は感じやすく、変なところで賢すぎる子供だった。
それでも、秋に、近所に住んでいた祖母の一面の菊畑に、色とりどりの花が咲くと、とびっきりきれいな花を分けてもらうことができた。このときばかりは、満面の笑顔で先生にお花を渡すことができるので、とても嬉しかった。それから、冬も。そもそも、冬はお花が少なかったし、祖母の庭から水仙を分けてもらうこともできた。あまり、後ろめたさを感じないですむ季節だった。
当時はそんなに気にしていないつもりだったが、春、色とりどりの花を見るたびに、小学生の頃のやりきれなさを不意に思い出してしまう。大好きだと思っていた先生だが、思っていたほどに良い先生ではなかったのかもしれない。子供の心を気遣うにはベテラン過ぎたのだろう。
その後引っ越しをしたけれど、南天や千両・万両、せいぜいが梅と、うちの庭は枝ものばかりで、今も渋いままである。祖母の庭も秋から冬の花や庭木が多かった。紙上に紹介された冬の花を見ていると、昔のあれこれを思い出してしまった。
by シィアル;2002/02/1