「言葉」と、その向こうにあるものについて考えた。  
 

人間も死んでしまって、死体になってしまうと、
もう、ものになってしまう。
「人がいる。」とは言うけれど、
「死体がいる。」とは、もちろん言わない。
「死体がある。」
「死体」になると、もう、人格はないのだ。
もう少し、尊厳をこめて、「遺体」とよんでも、
やはり、「遺体がある。」
逝ってしまった個人に対する、気持ちは変らなくても、
残された器は、少なくとも、言葉の上では、
「もの」として扱われる。

人間だって、そうなのだから。
いわんや、犬猫・動物は・・・。

道を歩いていて、ふと、ポスターが目にとまった。
わっかのついた、犬と猫の絵が小さくかかれている。
ごみ捨て場に掲げられた注意事項である。
ごみを捨てる上での注意点がいくつか書かれている。
その中の項目の一つに、イラストつきで、
「飼っていたペットの犬や猫の死体の処分」というのが。
そう、わかってはいるけど。
できるだけ冷たさを感じさせないように、
コミカルなイラストも入れているけど。
特に都会だから、いなかと違って、
ペットが死んでしまったからと、
どこにでもお墓はつくれないけれど。
わかってはいるが。
処分?
処分という言葉はひどすぎる。
ペットは死んだら、ごみになるの?
ひどい。ひどすぎる。
わかってはいるのだが、
理解できるのと、感情の波とは、また別物。
いなかとは違うのだから、仕方ないのだけど。

前に、知り合いの人が、
死んでしまったペットのうさぎのために、
ペット用の納骨堂を買って、そこにお墓を作ったという話を聞いて、
それはそれで、ずいぶん、驚いた。
ペットの納骨堂?
何と!そんな商売があるのかと。
その人は、町に住んでいるので、
当然、私の実家のようないなかとは違い、どこにでもお墓がつくれないから、
ペットをごみとして処分するしかないのだった。
だから、それがしのびなくて、ペット用の霊園と契約したのだ。

都会の便利さや、物質的豊かさ、さらに文化的豊かさは
この上もなく、魅力的だけど、
やはり、私は、土の上で暮らしたいなあと思う。
ペットに最後まで家族としてお別れのできる、
そういう、豊ないなかで暮らしつづけたいと、
今は、そう思っている。


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